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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)6961号 判決 1980年2月18日

原告 中島玲子

<ほか六名>

右原告ら訴訟代理人弁護士 佐伯幸男

同 浅井利一

被告 国

右代表者法務大臣 古井喜実

右指定代理人 藤村啓

<ほか三名>

主文

一  被告は、原告中島真紀、同中島美紀、同中島由紀に対し各金五七九万五八九円、同徳永美暁に対し金七七三万四〇三〇円、同徳永光男、同徳永ぎに対し各金六八九万八三八七円及びこれらに対する昭和四八年四月二八日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告中島玲子の請求及び同中島真紀、同中島美紀、同中島由紀、同徳永美暁、同徳永光男、同徳永ぎのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告中島玲子と被告との間においては、被告に生じた費用の七分の一を原告中島玲子の負担とし、その余は各自の負担とし、原告中島真紀、同中島美紀、同中島由紀、同徳永美暁、同徳永光男、同徳永ぎと被告との間においては、各原告に生じた費用の二分の一を被告の負担とし、被告に生じた費用の七分の三を原告らの負担とし、その余は各自の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告中島玲子に対し一二三四万円、同中島真紀、同中島美紀、同中島由紀に対し各一〇九〇万円宛、同徳永美暁に対し二三八四万一〇〇〇円、同徳永光男、同徳永ぎに対し各一三三六万三〇〇〇円宛、及び右各金員に対する昭和四八年四月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第一項につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言。

第二当事者の主張

別紙のとおり

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1、2の事実(本件事故の概要及び本件事故発生に至るまでの経過)は、当事者間に争いがない。

二  本件事故の原因について

(操縦士の操作について)

1  移動式航空燈火の性能調査飛行開始後本件事故発生に至るまでの間における、事故機及び二二号機と、本件飛行場内のラジオ(無線通信所)との交話状況及び地上関係者の右両機視認状況並びに本件飛行場の気象状況(二〇・四二・〇〇ないし二〇・五五・〇〇の推定雲量及び二一・一四・〇五の推定気象状況を除く)が別表1記載のとおりであること及び本件飛行場の滑走路の位置関係が原告主張のとおりであることは当事者間に争いがない。

右争いのない事実並びに《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 事故機と二二号機は、二〇時四五分ころから急速に硫黄島上空の天候が悪化し、雨雲のため本件飛行場を視認することができなくなったので、移動式航空燈火の性能調査飛行(本件飛行場の滑走路を囲む形で設置された移動式航空燈火を、上空から、異なる高度、方向、距離で視認し、視認状況をラジオに通報する)を打ち切り、本件飛行場に着陸することにした。そして、二一・〇五・〇八ころには、硫黄島上空の天候が回復し、雨もやみ、厚い雲もなくなったので、二一・〇七・二八、残燃料の少ない事故機から先に着陸することになった。

(二) そして、二一・〇九・〇〇には、事故機のものと思われる航空燈火が、本件飛行場の南西方向から北東方向に向って高度一〇〇〇フィートないし一五〇〇フィートで移動するのが、本件飛行場の管制塔から視認され、以後、事故機と二二号機及びラジオとの間に次のような交話がなされた。

(1) 二一・一一・三七(事故機→ラジオ)アー六 アー(こちら)六六二号機………、ラジオ、(こちら)六六二号機(高度)一〇〇〇フィートで雲の中ですね。見えないですね。

(2) 二一・一一・五三(ラジオ→事故機)(こちら)ラジオ、六二号機了解しました。現在位置を知らせて下さい。どうぞ。

(3) 二一・一二・〇〇(事故機→ラジオ)アー本機の現在位置、アーラジオの九〇度方向、距離三マイルの位置です。どうぞ。

(4) 二一・一二・一〇(ラジオ→事故機)六二号機、(こちら)ラジオ、了解。

(5) 二一・一二・二二(事故機→ラジオ)アーラジオ、(こちら)六六二号機、予報知らして下さい。

(6) 二一・一二・三一(事故機→ラジオ)アーラジオ、(こちら)六六二号機、アー予報を知らせて下さい。どうぞ。

(7) 二一・一二・四九(事故機→ラジオ)アー(こちら)六六二号機、ちょっとブレーク(着陸のための最終経路から離れることをいう)します。全然見えないです。

(8) 二一・一三・〇一(事故機→二二号機)六二二号機、こちらアー六二号機、現在高度一〇〇〇フィートです。どうぞ。

(9) 二一・一三・〇九(二二号機→事故機)アー(こちら)六二二号機、了解。

(10) 二一・一三・一二(二二号機→事故機)アー高度一八〇〇フィートを維持しています。

(11) 二一・一三・一六(事故機→二二号機)了解、了解。

(12) 二一・一三・一九(事故機→二二号機)全然見えないです。

(13) 二一・一三・二一(二二号機→事故機)了解。

(14) 二一・一三・二三(二二号機→事故機)貴機は残燃料どのくらいですか。

(15) 〃(事故機→二二号機)残燃料はですねえ、ないんですよねえ、もうー。ちょっと待て下さい。

(16) 二一・一三・三一(二二号機→事故機)じゃあ、ストレートイン(着陸のため最終経路の延長上に直接進入することをいう)で入られたらいかがですかねえ、見えないですかねえ。

(17) 〃(事故機→二二号機)ストレートインでやったんですが。見えないんですよ。

(18) 二一・一三・三五(二二号機→事故機)アーそうですか、了解。

(19) 二一・一三・四五(事故機→二二号機)アー見えてきた、見えてきた。

(20) 二一・一三・四八(ラジオ→事故機)四六六二号機、(こちら)硫黄島ラジオ、貴機を視認しています。貴機の判断により着陸はいつでも支障ありません。風向一八〇度、風速一四ノット、どうぞ。

(21) 二一・一三・五九(事故機→ラジオ)了解、今はっきりと滑走路を視認しています。ただ今直線進入中です。どうぞ。

(22) 二一・一四・〇五(ラジオ→事故機)了解、脚出しのチェックをして最終進入経路で通報して下さい。

(23) 二一・一四・〇八(事故機→ラジオ)了解、了解。

(24) 二一・一七・〇七(ラジオ→事故機)四六六二号機、(こちら)硫黄島ラジオ、位置及び高度を知らせて下さい。

以後事故機の応答なし。

(三) 右(21)の連絡がなされたころには、本件飛行場に向って飛行して来る事故機の航空燈火が、本件飛行場の滑走路延長線上三マイルないし五マイルの位置にあるのが、管制塔から視認され、また、二一・一五・〇〇ころには、事故機の航空燈火が、左旋回し、管制塔から見て右方に移動しつつ高度を下げるのが、管制塔から視認された。

なお、右(1)ないし(24)の時間中、二二号機は、硫黄島の南東一〇ないし一五マイルの上空で、高度を一五〇〇ないし一八〇〇フィートに維持して、左旋回しつつ待機していた。

(四) 性能調査飛行の際の事故機及び二二号機の巡航速度は一七〇ないし一八〇ノット程度であったが、着陸のために直線進入する場合は、脚出し等の操作をするためにも、巡航速度を一四〇ないし一五〇ノット程度に落す必要があるので、直線進入中の事故機の巡航速度は一四〇ないし一五〇ノットであったと考えられる。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

2  以上の争いのない事実と1で認定した事実及び1に掲げた各証拠を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 事故機は、北東から二五〇度の方向へ向って、有視界飛行方式をとり、直線進入方式によって本件飛行場に着陸しようとしていた。一般に直線進入方式によって着陸する場合、滑走路の延長線上一〇マイル付近から、滑走路に向ってほぼ直線に飛行するのが通常の方法であるから、事故機は、管制塔から事故機の航突燈火が本件飛行場の南西方向から北東方向に向って移動するのが視認された二一・〇九・〇〇以後、少くとも1(二)(3)の交話のなされた二一・一二・〇〇の時点まではなお北東方向に向って本件飛行場から遠ざかる方向に飛行しており、その高度をほぼ一〇〇〇フィートに維持し1(二)(19)の交話のなされた二一・一三・四五までの間に雲中で左旋回し飛行方向を一八〇度転換し、南西二五〇度の方向に本件飛行場に向って飛行して来たものと推認できる。

(二) 1(二)(19)の交話のなされた二一・一三・四五以後は、事故機は滑走路をはっきりと視認しており、二一・一三・五九には、航空機が滑走路にまっすぐ直線進入している時に使われる「ただ今直線進入中です。」(ナウ ストレート イン アプローチ)という言葉が、事故機からラジオに発信され、事故機の航空燈火が、本件飛行場の滑走路延長線上三マイルないし五マイルの位置にあるのが管制塔から視認されているので、事故機は、滑走路の延長線上上空を、高度をほぼ一〇〇〇フィートに維持して、巡航速度一四〇ないし一五〇ノット、すなわち分速二・三ないし二・五マイルで、滑走路に向ってほぼ直線に飛行していたものと認められる。

(三) 従って、原告主張の事故機の航跡のうち、別紙図面(一)、(二)表示③の位置は、実際の事故機の位置を厳密に示すものと認定することはできないが同図面(一)、(二)表示①、②、④、⑤、⑥、⑦の位置は、ほぼ正確に実際の事故機の位置を示しているものと認められる。

被告は、事故機が飛行場を視認した二一・一三・四五の時点は、二一・一三・三一に直線進入を試みた後、元の位置へ占位する途中であったと主張するが、右主張は、二一・一三・四五前後の前記交話内容から考えて不自然である。また、二一・〇九・〇〇に、別紙図面(一)、(二)表示①の位置にいた事故機が、滑走路の延長線上一〇マイル付近まで飛行して、更にその位置から滑走路までの一〇マイルを飛行して直線進入を試みた場合、巡航速度一五〇ノットとして八分、仮に被告主張のとおり巡航速度一八〇ノットとしても七分近くかかり、二一・一三・四五の時点で事故機が既に一度直線進入を試みていたとは到底考えられない。従って、二一・一三・三一の事故機の交話「ストレートインでやったんですが。見えないんですよ。」は、「ストレートイン(直線進入)の方法を採用したのだが、今のところ滑走路が見えない。」との趣旨に解すべきであり、被告の右主張は採用できない。

3  事故機の正操縦士である昭文が、飛行時間五一六一時間の熟練操縦士であったことは当事者間に争いがなく、この事実と1に掲げた各証拠及び1、2で認定した事実を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 事故機の正操縦士である昭文は、飛行時間五一六一時間の熟練操縦士で、教育航空隊の操縦教官の経験もあり、本件飛行場にも一〇回近く離着陸したことがあった。副操縦士である保之も、飛行時間千数百時間の操縦技能の優れた操縦士であった。また両操縦士とも、身体歴、心理適性検査ともに何の異常もなく、本件事故の前日、当日の行動等も、別に変ったことはなかった。事故機の他の乗組員についても、特に精神的、身体的な異常は認められなかった。

(二) 本件飛行場の滑走路は、海面から三七〇フィートの高さにあったから、事故機が高度一〇〇〇フィートで直線進入したとすると、事故機の対地高度は約六〇〇フィートになるが、事故機は視界の悪い時を想定して対地高度五〇〇フィートで離着陸の訓練をしており、昭文は、操縦教官をしていた時に、学生に対してそういう着陸方法を教えていたので、事故機が対地高度約六〇〇フィートで着陸することは困難なことではなかった。仮に極端に事故機の高度が低かったとしても、滑走路の手前三ないし五マイルの位置からエンジンを入れれば適当な高度に上げることができた。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、前記認定の事故機の航跡から考えると、事故機は、別紙図面(一)、(二)表示⑥以降、滑走路の手前三マイル付近から高度を下げて行きさえすれば、二、三分後には本件飛行場に着陸できるはずであったから、前記のとおりの熟練操縦士であった昭文や保之にとって、別紙図面(一)、(二)表示⑥以降、事故機を本件飛行場に着陸させるための操作をすることは、極めて容易なことであった、と考えられる。それにも拘わらず、事故機は、別紙図面(一)、(二)表示⑦で左旋回するようにして墜落しているので、検討するに、この左旋回が、操縦士の意識的な操作によってなされたものということは、以下の理由から困難である。すなわち、かかる着陸寸前の状態で旋回するのは着陸復行(着陸のための飛行のやり直し)をするためであろうが、前記認定の事故機の航跡から考えて、着陸復行する必要は見出せず、しかも、別紙図面(一)、(二)表示⑦で左旋回して着陸復行すると、やっと抜け出して来た雲域に再び戻ることになり、前記1(二)(15)の交話にみられるように、残燃料はあまりないと判断していた事故機が、そのような危険をおかすとは考えられない。また、前記1(二)(21)、(22)、(23)の交話によれば、事故機がそのまゝ着陸態勢に入って着陸することが地上(管制塔)と事故機の間で了解されたと認められるから、事故機においてそのまま着陸することをやめ、着陸復行をする決意をしたのであれば、事故機からラジオに対して、これから着陸復行をするという趣旨の、「ウェイブ オフ」という通報がなされるはずであるが、前記認定の交話内容にみられるとおり、そのような通報はなされておらず、この点からも事故機が着陸復行を決意したとは考えられず、その他事故機の左旋回が意識的に行われたことをうかがわせるに足る資料はない。

4  右1ないし3の事実によれば、事故機は、直線進入方式により、容易に着陸できる航路を飛行していながら、操縦士の操作によらずに、左旋回するような飛行をし、墜落するに至ったものと認められるので、本件事故は、操縦士の操作以外の原因によって発生したものと推認するのが相当である。

(突発的な外的要因の発生について)

1  別表1記載の気象状況のうち、前記当事者間に争いのない部分、並びに《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

本件事故当日、硫黄島は、太平洋高気圧に覆われており、全般的に天候は安定していた。二〇時四五分ころから、硫黄島上空の天候が悪化したが、二〇時五〇分の本件飛行場気象室の観測によれば、風速一二ノット、視程二〇キロメートル、雲量高度七〇〇フィートに八分の三(全天を八とした場合、その三を雲が占めているということ。以下同じ)、一二〇〇フィートに八分の五、一六〇〇フィートに八分の七であって、雨雲の規模も小さく、雨も一時的なもので、夕立より少し弱い程度の強さであった。そして、天候が悪化してから二〇分余り後の二一・〇五・〇八には、既に硫黄島上空の天候は回復し、雨もやみ、厚い雲もなくなっていた。

また、本件飛行場気象室の観測によっても、二二号機の観測によっても、雷の発生は認められていないし、事故機が別紙図面(一)、(二)表示⑥以降操縦困難に陥るような乱気流の発生も認められていない(このような乱気流のなかったことは、本件事故後の、自衛隊の航空事故調査委員会の調査によっても確認されている)。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右事実によれば、被雷、乱気流等、突発的な異常気象によって本件事故が発生したものとは考えられない。

被告は、激しい下降気流によって本件事故が発生した可能性があると主張するが、被告がその例としてあげる昭和五〇年六月二四日午後四時五分、ニューヨーク市ケネディ国際空港で発生したボーイング七二七旅客機墜落事故は(この事故の発生については当事者間に争いがない)、《証拠省略》によれば、高度四万二〇〇〇フイート以上に発達した鉄床型の雷雲の存在と、寒冷前線の通過という条件の下で発生したものであり、そのいずれの条件も欠く本件事故にその例をあてはめることはできず、被告の右主張は採用できない。

2  次に、前記認定のとおり、昭文、保之ともに熟練した操縦士であり、精神的、身体的に何の異常もなく、本件事故の前日、当日の行動等も、別に変ったことはなかったこと、事故機の他の乗組員についても、特に精神的・身体的な異常は認められなかったこと、事故機は着陸を間近に控えた別紙図面(一)、(二)表示⑤の位置付近まで、ラジオや二二号機と極めて頻繁に、正常な交話を交していたこと、などから考えると、操縦士や他の乗組員に突然の精神上、あるいは身体上の障害を生じたために本件事故が発生したものとは考えられない。

3  そして、その他突発的な要因によって本件事故が発生したことを認めるに足る証拠はない。従って、本件事故は、突発的な外的要因以外の原因によって発生したものと推認するのが相当である。

(事故機の機械的故障について)

1  《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 本件事故の原因となり得る事故機の機械的故障としては、次のものが考えられる(いずれも、被告の自認するものである)。

(1) 左エンジンの出力停止

左エンジンの突然の出力停止及び低下は、航空機の高度低下及び左旋回の原因となる。そして、エンジン停止の原因としては、燃料の枯渇、燃料系統の故障、点火系統の故障、及びエンジン不調のための意図的な停止が考えられる。

(2) 両エンジンの出力停止

両エンジンの突然の出力停止及び低下は、航空機の高度低下の原因となる(但し、左旋回には直接結びつかない)。両エンジン停止の原因は、左エンジン停止の場合と同じである。

(3) 左プロペラの回転数の変動

プロペラは着陸の最終経路で必ず操作する装置であり、本件事故発生時期と、事故機のプロペラ操作の時期は一致する。このプロペラ操作で、左プロペラのみが不意にリバース(逆推力のこと)、フェザー(プロペラの羽が飛行方向に対してまっすぐなってしまうこと)、又は極端にハイピッチ(プロペラの羽の角度が大きくなり、プロペラの回転が低下すること)に移行すれば、航空機の高度低下及び左旋回の原因となる。

(4) フラップの非対称作動

フラップとは、高揚力装置の代表的なもので、主翼後縁を下方に曲げ、気流に下向きの分速度を付加するようにしたものである。フラップはプロペラと同様、着陸の最終経路で操作する装置の一つであり、本件事故発生時期と、事故機のフラップ操作(下げる)の時期は一致する。フラップの一方のみが下がり、他方が下がらなかったとき(フラップの非対称作動が発生したとき)は、飛行機が均衡を失い、左、右どちらかに滑り落ちる。フラップの非対称作動は、左右のフラップを結ぶ連結棒(軸)が折れたり、フラップが降りるレールが壊れたりした場合に発生する。

(5) 操縦系統の引っかかり

エルロン(補助翼)、エレベーター(昇降舵)、ラダー(方向舵)を操作する操縦系統(操縦稈、フットバーなど)が、左旋回、機首下げの位置で引っかかったときは、航空機の高度低下及び左旋回の原因となる。

(6) バリカム・ランアウェイ

バリカムとは、水平飛行をより安定にし、あるいは昇降舵の操舵力を少なくするために、水平安定板と昇降舵の間に取り付けられた翼のことであり、バリカム・ランアウェイとは、バリカムの作動系統に故障があり、バリカムが上又は下に作動したままもとに戻らないことをいう。バリカム・フルダウン・ランアウェイ(バリカムが下一杯に作動すること)が起こると航空機の高度低下の原因となる。

(7) 救命浮舟の空中膨脹

救命浮舟は、左翼の胴体近くに収納されているもので、航空機が着水すると、海水が下面の進入孔から進入し、電池を作動させ、発生した電流の作用により炭酸ガスボンベのバルブが開き、浮舟を膨脹させ、右膨脹により収納蓋を押し上げて浮舟は翼外に放出する構造になっている。事故機と同型機が、雨中を飛行した直後、空中で救命浮舟が膨脹した例があり、空中で救命浮舟が膨脹すると、左側に大きな抵抗が出て来るので、航空機の高度低下及び左旋回の原因となる。そして事故機の救命浮舟は、揚収時、一部膨脹していた。

(二) 右(1)ないし(7)のうち、(2)及び(4)の故障は、過去においてほとんど発生したことがないが、その余の故障は過去において何度か発生しており、本件において事故機に発生した可能性も十分ある。ただ、(6)、(7)以外の故障は、それだけ一つが起こったものであれば、比較的容易に回復操作をすることができ、直接本件事故に結びつく可能性は低い。(6)の故障は、訓練としてその回復操作をする場合は、壊れていないバリカムを使用してするのであるから、比較的操作は容易であるが、不意に故障が起こった場合は、非常に回復操作が困難であり、(7)の故障は、これが起こったときは、操縦士としても何が起こったのか察知しにくいこともあって、その回復操作は極めて困難である。

(6)、(7)以外の故障も、二つ以上複合して起こった場合は、回復操作は非常に困難なものになる。

(三) 航空機に故障が起きた場合、機長としては、それを管制塔等に連絡するのが通常であるが、回復困難な故障が起きた場合には、正副両操縦士とも、回復操作に従事して連絡できないこともあるし、一方の操縦士は回復操作に全力を傾けており、他方の操縦士は何が起こったのか理解できないので、結局連絡できないということもあり、事故機の場合も、回復操作に追われて故障を連絡できなかった可能性がある。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

被告は、事故機の救命浮舟が、揚収時一部膨脹していたのは、事故機の水面衝突時の機体損壊によるものと主張し、空中膨脹の可能性を否定するが、《証拠省略》によれば、航空事故調査委員会の調査結果にも拘らず、空中膨脹の可能性を完全に否定することはできないものと認められるから、被告の右主張は採用できない。

また、被告は、事故機は、昭和四八年二月二日、第二回目のオーバーホールを完了し、以後、定期検査、定時点検等が規定どおり実施され、不具合箇所はすべて修理されていたこと、本件事故当日飛行前の点検が実施されたが、飛行に支障を及ぼすような不具合事項は何ら認められなかったこと、などの事実から、機械的故障が本件事故の原因である可能性が否定される趣旨の主張をし、《証拠省略》によれば、右検査・点検の事実は認められるが、右のような事実があったからといって、機械的故障が本件事故の原因である可能性を否定することはできず、被告の右主張は採用できない。

2  1の事実によれば、本件事故の原因となり得る事故機の機械的故障は、いくつかあるが、いずれも可能性の程度に留まり、本件事故の原因として特定の機械的故障をあげることは不可能であるといわざるを得ない。

しかし、さきに認定したとおり、操縦士の操作や、突発的な外的要因が、本件事故の原因として考えられないものである以上、前記認定の態様において発生する可能性のある機械的故障をもって、本件事故の原因であるといわざるを得ない。

三  被告の責任について

事故機が公の営造物であり、被告が事故機の管理者であることは、当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、被告は本件事故機の設置者でもあるものと認められる。

そして、前記二で判示したとおり、本件事故は、事故機の機械的故障の結果発生したものであるから、事故機は本来有すべき安全性を欠いていたもの、すなわち、事故機には設置又は管理の瑕疵があったものと推認される。

従って、被告は、国家賠償法第二条第一項に基づき、本件事故により原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

なお、事故機が、定期検査、定期点検、飛行前点検等を受けていたことは、前記認定のとおりであるが、これをもって被告が右責任を免れることはできない。

四  損害について、

1  原告中島関係(ここでは、原告中島玲子、同真紀、同美紀、同由紀を合せて原告中島らという)

(一)  昭文の逸失利益

(1) 請求原因5(一)(1)①、②の事実は、昭文が死亡当時支給を受けていた扶養手当の金額を除き、当事者間に争いがない。そして、原告中島らと昭文との身分関係が、別表2記載のとおりであることも当事者間に争いがないから、昭文は、防衛庁職員給与法第一二条、一般職の職員の給与に関する法律第一一条に基づき、毎月、扶養手当五九〇〇円を支給されていたものと認められる(少なくとも五五〇〇円の扶養手当が支給されていたことは、当事者間に争いがない)。

そして、前記認定のとおり、昭文は、航空機の操縦士の職種を有し、本件事故まで健康に職務に従事していたのであるから、もし本件事故により死亡しなければ、満五〇歳で自衛隊を定年退職するまでは、自衛官としての俸給を得、定年退職後満六三歳までは、定年退職時の収入(俸給、扶養手当、期末手当、勤勉手当を含み、航空手当を除く)の七割に相当する収入を得るものと推認される。

(2) 定年前の逸失利益

昭文が本件事故当時、三等海佐六号俸の俸給(本給一二万九八〇〇円、航空手当五万五七五〇円、扶養手当五九〇〇円、その他期末手当及び勤勉手当)を得ていたことは、前記認定のとおりである。

そこで、本件事故当時(昭和四八年四月)に適用されていた自衛官俸給表に従って定年退職までの昭文の得べかりし収入を算定することとするが、その際、昭文は、昭和四九年四月以降、防衛庁職員給与法第五条第三項、一般職の職員の給与に関する法律第八条第六項に基づき、毎年一号俸ずつ昇給するものとする。

航空手当については、防衛庁職員給与法第一六条、防衛庁職員給与法施行令第一二条に基づき、昭文が航空機に搭乗した際に支給される所定の航空手当の額は、定年退職するまで本件事故時の額と同額とし、更に、昭文が定年まで航空機に搭乗する比率が六六・八パーセントであることは、原告中島らの自認するところであるから、毎年、所定の航空手当の額の六六・八パーセントの航空手当を支給されるものとする。

扶養手当については、本件事故の発生した昭和四八年改正後の、防衛庁職員給与法第一二条、一般職の職員の給与に関する法律第一一条に基づき、定年退職するまで、本件事故時の額と同額とする。

期末手当及び勤勉手当については、防衛庁職員給与法第一八条の二、一般職の職員の給与に関する法律第一九条の三及び四、人事院規則九―四〇第九条に基づき、両手当を合計して、定年退職するまで、毎年、俸給及び扶養手当の四・八か月分を支給されるものとする。

国家公務員共済組合法に基づく共済掛金、税金、及び生活費については、いずれも原告中島ら自らこれを得べかりし総収入から控除する(税金、生活費については合せて四五パーセントを控除する)ことを認めており、昭文が生存していれば、当然徴収され、あるいは費消されるものでもあるから、得べかりし総収入から控除することとするが、いずれも、立法政策や家族構成の変更等により変動が予想され、厳密な算定は困難であるから、これらを生活費等として、一括して合理的割合において総収入から控除するのが相当であるところ、本件においては、前記認定の昭文の年令、職業、収入、家族構成などを考慮し、総収入の四七パーセントを控除するのが相当と考える。

以上により、中間利息の控除につき、ライプニッツ方式を採用して、昭文の定年前の逸失利益を算出すると、別表6記載のとおり、合計一二八〇万四九五円になる。

(3) 退職手当

前記のとおり、昭文は昭和一〇年六月二一日生まれで、昭和三五年四月、海上自衛隊幹部候補生に採用されたのであるから、昭和六〇年六月二一日に満五〇歳になって定年退職するまで、二五年余にわたって、自衛隊に勤続し得たものと認められる。

そこで、昭文は、国家公務員等退職手当法第五条に基づき、定年退職時に、その時の俸給月額に四〇・五を乗じた退職手当の支給を受けることができたものと認められるところ、昭文の定年退職時の俸給月額は、前記(別表6)のとおり、一八万一七〇〇円であるから、中間利息の控除につき、ライプニッツ方式を採用して、得べかりし退職手当の本件事故時における現価を算出すると、三九〇万二三九八円になる(計算式は左記のとおり)。

181,700円×40.5×0.5303=3,902,398円

(4) 定年後の逸失利益

前記のとおり、昭文は、定年退職後、満六三歳になるまで、定年退職時の収入(航空手当を除く)の七割に相当する収入を得るものと推認されるので、定年前の逸失利益算定の場合と同様、生活費等として、総収入の四七パーセントを控除し(仮に共済掛金は徴収されなくなったとしても、それに代って社会保険料等が徴収されるものと考えられるので、控除率は変らない)、中間利息の控除につき、ライプニッツ方式を採用して、昭文の定年後の逸失利益を算出すると、六一三万八一〇〇円になる(計算式は左記のとおり)。

3,151,680円×0.7×(1-0.47)×5.2495=6,138,100円

(二)  相続

原告中島玲子、同真紀、同美紀、同由紀と昭文との身分関係が別表2記載のとおりであることは当事者間に争いがないので、原告玲子は三分の一、その余の原告らは各九分の二宛、それぞれ昭文の逸失利益の損害賠償請求権を相続によって承継取得したものというべきであるが、原告中島らは、退職手当のうち、二二五万八三四〇円については、既に受領済みであり、原告中島らの取得する損害賠償請求権から控除さるべきものであることを自認するので、これを控除すると、結局、原告玲子は六八六万八八四円の、同真紀、同美紀、同由紀は各四五七万三九二二円宛の、損害賠償請求権を相続によって取得したことになる。

(三)  慰藉料

さきに認定した本件事故の態様、本件事故時の昭文の年令、昭文と原告中島らとの身分関係、その他諸般の事情を考慮すると、昭文を本件事故によって失った原告中島らの精神的苦痛に対する慰藉料は、同原告ら主張のとおり、原告玲子につき二五〇万円、同真紀、同美紀、同由紀につき各一五〇万円と認めるのが相当である。

(四)  既支給金の控除

被告から原告中島らに対し、賞じゅつ金として二六二万五〇〇〇円が、原告玲子に対し、遺族補償年金として一一三六万七九五七円、遺族特別給付金として八五万二八六一円が、それぞれ支給されたことは当事者間に争いがなく、右賞じゅつ金及び本件事故後三年間分の遺族補償年金を、損害額から控除すべきこと(賞じゅつ金は、原告中島らの相続分で按分した額を、それぞれ同原告ら各自の損害額から、遺族補償年金は、全額原告玲子の損害額から控除する)も、当事者間に争いがない。

そして、遺族補償年金及び遺族特別給付金は、いずれも、国家公務員災害補償法にいわゆる補償金であり、その受給権者は原告玲子であるから、防衛庁職員給与法第二七条、国家公務員災害補償法第五条第一項に基づき、本件事故後三年間分だけでなく、右支給された遺族補償年金全額及び遺族特給別付金全額を原告玲子の損害額から控除すべきものというべきである。

以上によれば、原告玲子の損害額からは、一三〇九万五八一八円を、同真紀、同美紀、同由紀の損害額からは、各五八万三三三三円宛を、それぞれ控除することになる。

(五)  弁護士費用

《証拠省略》によれば、原告中島らは、被告から任意の賠償を得られなかったので、弁護士である本件原告中島ら訴訟代理人に本件訴訟の提起・遂行を委任したことが認められる。

そこで、本件訴訟の難易度、審理経過、認容額、その他諸般の事情を考慮すると、原告玲子については、既支給金額が損害額を明らかに上回るので、被告に賠償せしむべき弁護士費用は認められないが、同真紀、同美紀、同由紀については、各三〇万円宛を、被告に賠償せしむべき弁護士費用と認めるのが相当である。

(六)  従って、原告玲子の損害賠償請求権は、全額既支給金控除によって消滅し、同真紀、同美紀、同由紀の総損害額は、各五七九万五八九円宛になる(計算式は左記のとおり)。

4,573,922円+1,500,000円-583,333円+300,000円=5,790,589円

2  原告徳永関係(ここでは、原告徳永美暁、同光男、同ぎを合せて原告徳永らという)

(一)  保之の逸失利益

(1) 請求原因5(二)(1)①、②の事実は当事者間に争いがない。

そして、前記認定のとおり、保之は、航空機の操縦士の職種を有し、本件事故まで健康に職務に従事していたのであるから、もし本件事故により死亡しなければ、満五〇歳で自衛隊を定年退職するまでは、自衛官としての俸給を得、定年退職後満六三歳までは、定年退職時の収入(俸給、扶養手当、期末手当、勤勉手当を含み、航空手当を除く)の七割に相当する収入を得るものと推認される。

(2) 定年前の逸失利益

保之が本件事故当時、二等海尉五号俸の俸給(本給九万六八〇〇円、航空手当四万八五〇円、扶養手当三五〇〇円、その他期末手当及び勤勉手当)を得ていたことは、前記のとおり当事者間に争いがない。

そこで、本件事故当時(昭和四八年四月)に適用されていた自衛官俸給表に従って、定年退職までの保之の得べかりし収入を算定することとするが、その際、保之は、昭和四九年四月以降、防衛庁職員給与法第五条第三項、一般職の職員の給与に関する法律第八条第六項に基づき、毎年一号俸ずつ昇給し、二等海尉の最上位の号俸(二〇号俸)に昇給して一年経過した時には、一等海尉に昇給し、二等海尉最上位の号俸の俸給額を上回る号俸のうちで最も低い号俸(一五号俸)の支給を受け、以後毎年一号俸ずつ昇給し、一等海尉の最上位の号俸(一九号俸)に昇給して一年経過した時には、三等海佐に昇格し、一等海尉最上位の号俸の俸給額を上回る号俸のうちで最も低い号俸(一五号俸)の支給を受けるものとする。

航空手当については、防衛庁職員給与法第一六条、防衛庁職員給与法施行令第一二条に基づき、保之が航空機に搭乗した際に支給される所定の航空手当の額は、保之が二等海尉の階級にあるうちは、本件事故時の額と同額とし、一等海尉の階級にあるうちは、四万六八〇〇円(本件事故時の航空手当の割合と同じ割合)とし、三等海佐の階級になったときは、五万五七五〇円(本件事故時の航空手当の割合と同じ割合)とし、更に、保之が定年まで航空機に搭乗する比率が六六・八パーセントであることは、原告徳永らの自認するところであるから、毎年、所定の航空手当の額の六六・八パーセントの航空手当を支給されるものとする。

扶養手当については、原告中島ら関係で判示したとおりの理由により、定年退職するまで、本件事故時の額と同額とする。

期末手当及び勤勉手当については、同じく原告中島ら関係で判示したとおりの理由により、両手当を合計して、定年退職するまで、毎年、俸給及び扶養手当の四・八か月分を支給されるものとする。

国家公務員共済組合法に基づく共済掛金、税金、及び生活費(生活費等)については、同じく原告中島ら関係で判示したとおりの理由により、総収入の四七パーセントを控除するのが相当と考える。

以上により、中間利息の控除につき、ライプニッツ方式を採用して、保之の定年前の逸失利益を算出すると、別表7記載のとおり、合計一七三六万一八一七円になる。

(3) 退職手当

前記のとおり、保之は昭和一九年一〇月六日生れで、昭和四二年三月、海上自衛隊幹部候補生に採用されたのであるから、昭和六九年一〇月六日に満五〇歳になって定年退職するまで、二七年余にわたって、自衛隊に勤続し得たものと認められる。

そこで、保之は、国家公務員等退職手当法第五条に基づき、定年退職時に、その時の俸給月額に四四・一を乗じた退職手当の支給を受けることができたものと考えられるところ、保之の定年退職時の俸給月額は、前記(別表7)のとおり、一七万三〇〇円であるから、中間利息の控除につき、ライプニッツ方式を採用して、得べかりし退職手当の本件事故時における現価を算出すると、二五六万六九九六円になる(計算式は左記のとおり)。

170,300円×44.1×0.3418=2,566,996円

(4) 定年後の逸失利益

前記のとおり、保之は、定年退職後、満六三歳になるまで、定年退職時の収入(航空手当を除く)の七割に相当する収入を得るものと推認されるので、定年前の逸失利益算定の場合と同様、生活費等として、総収入の四七パーセントを控除し(仮に共済掛金は徴収されなくなったとしても、それに代って社会保険料等が徴収されるものと考えられるので、控除率は変らない)、中間利息の控除につき、ライプニッツ方式を採用して、保之の定年後の逸失利益を算出すると、三六六万五五三七円になる(計算式は左記のとおり)。

2,919,840円×0.7×(1-0.47)×3.3838=3,665,537円

(二)  相続

原告徳永美暁、同光男、同ぎと保之との身分関係が別表2記載のとおりであることは当事者間に争いがないので、原告美暁は二分の一、その余の原告らは各四分の一宛、それぞれ保之の逸失利益の損害賠償請求権を相続によって承継取得したものというべきであるが、原告徳永らは、退職手当のうち、一〇〇万八〇〇円については、既に受領済みであり、同原告らの取得する損害賠償請求権から控除さるべきものであることを自認するので、これを控除すると、結局、原告美暁は一一二九万六七七五円の、同光男、同ぎは各五六四万八三八七円宛の、損害賠償請求権を相続によって取得したことになる。

(三)  慰藉料

さきに認定した本件事故の態様、本件事故時の保之の年令、保之と原告徳永らとの身分関係、その他諸般の事情を考慮すると、保之を本件事故によって失った同原告らの精神的苦痛に対する慰藉料は、原告美暁につき二五〇万円、同光男、同ぎにつき各一五〇万円と認めるのが相当である。

(四)  既支給金の控除

被告から原告徳永らに対し、賞じゅつ金として二四〇万円が、原告美暁に対し、遺族補償年金として四八九万五七二円、遺族特別給付金として三七万二一七三円が、それぞれ支給されたことは当事者間に争いがなく、右賞じゅつ金及び本件事故後三年間分の遺族補償年金を、損害額から控除すべきこと(賞じゅつ金は、原告徳永らの相続分で按分した額を、それぞれ原告ら各自の損害額から、遺族補償年金は、全額原告美の損害額から控除する)も、当事者間に争いがない。

そして、原告中島ら関係で判示したとおりの理由から、右支給された遺族補償年金全額及び遺族特別給付金全額を原告美暁の損害額から控除すべきものというべきである。

以上によれば、原告美暁の損害額からは、六四六万二七四五円を、同光男、同ぎの損害額からは、各六〇万円宛を、それぞれ控除することになる。

(五)  弁護士費用

《証拠省略》によれば、原告徳永らは、被告から任意の賠償を得られなかったので、弁護士である本件原告徳永ら訴訟代理人に本件訴訟の提起・遂行を委任したことが認められる。

そこで、本件訴訟の難易度、審理経過、認容額、その他諸般の事情を考慮すると、原告美暁については、四〇万円、同光男、同ぎについては、各三五万円宛を、被告に賠償せしむべき弁護士費用と認めるのが相当である。

(六)  従って、原告美暁の総損害額は、七七三万四〇三〇円、同光男、同ぎの総損害額は、各六八九万八三八七円宛になる(計算式は左記のとおり)。

(美暁)   11,296,775円+2,500,000円-6,462,745円+400,000円=7,734,030円

(光男,ぎ)5,648,387円+1,500,000円-600,000円+350,000円=6,898,387円

五  過失相殺について

前記判示したとおり、本件事故の原因は、事故機の機械的故障によるものと認められるが、いかなる機械的故障が発生したのか特定するに足りる証拠は存しない。従って、機械的故障発生後の操縦士の措置の適否について判断することもできず、この意味で、本件においては過失相殺の対象となるような操縦士の過失を認めることができない。

なお、被告は、事故機の操縦士は、有視界飛行方式による着陸を試みるべきではなく、雲中又は雨域を避けて、視界良好な空域へ回避するか、計器飛行方式に転換して、GCA誘導(地上誘導着陸方式)により着陸進入すべきであったと主張するが、《証拠省略》によれば、事故機は雨中でも飛行可能な全天候型対潜哨戒機であったこと、二一・〇五・〇八にラジオから二二号機に対してなされた連絡によれば、事故機が着陸のための飛行を開始したころの本件飛行場付近の天候は、雨もやみ、厚い雲もなく、非常に良い状態であったが、硫黄島の南側は天候が悪く、本件飛行場に雨雲が再来するおそれがあったこと、二二号機も有視界飛行方式による着陸をしようと考えており、二二号機から事故機に対するアドバイスも、「ストレートインで入られたらいかがですかねえ。」というものであったこと、計器飛行方式に転換してGCA誘導で着陸するためには、時間がかかり、残燃料の心配のあった事故機がこのような方法を採ることはむしろ不適当であること、が認められ、右事実によれば、事故機が有視界飛行方式による着陸を試みたことをもって不相当ということはできないから、被告の右主張は採用するに由がない。

六  結論

よって、原告らの本訴請求は、被告に対し、国家賠償法第二条第一項に基づき、原告中島真紀 同美紀 同由紀につき各五七九万五八九円、同徳永美暁につき七七三万四〇三〇円、同光男、同ぎにつき各六八九万八三八七円及びこれらに対する本件事故の日の翌日である昭和四八年四月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、原告中島玲子の請求及び同真紀、同美紀、同由紀、同徳永美暁、同光男、同ぎのその余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して、主文のとおり判決する。

なお、仮執行の宣言の申立については、相当でないので、これを却下する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 長野益三 福田剛久)

<以下省略>

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